本好き乱読日記

敢えてうがった見方の一味違う「書評」を目指します(歴史関係中心の人文書全般)

『明智光秀と本能寺の変』(渡邊大門著・ちくま新書)

来年度の大河ドラマを見込んだ光秀本の出版が相次いでいる。まさに玉石混交だが、本書は先行研究を整理しながら自分の見解も述べている一冊である。その分、いわゆるドラマ的な叙述やミステリー的な興味を求める人には、物足りないかもしれない。

 

そもそも一段落したとはいえ、現在の本能寺の変関係本の氾濫たるや、すさまじいものがある。手に取ってみると明らかに荒唐無稽、牽強付会のものが多い。しかもこうしたものほど売れ筋のようだ。しかし、陰謀論や黒幕説で歴史を見るべきではなかろう。かえって目が曇ってしまうからだ。

 

さてそうしたことはともかく、これほど明智光秀の前歴が不明ということは、それだけ信長は前歴にこだわることなく、人材を登用したということだ。この辺は曹操と似ている。

 

ただ、信長軍団の忙したるや生半可でないこともわかる。光秀も文字通り東奔西走、過労気味の毎日である。そして信長は状況次第でさっさと方針を変え、味方や家臣も使い捨てした。よく言えば外資系企業、悪く言えばブラック企業、あるいは能力のある選手をとことん酷使してつぶしてしまう高校野球の監督をほうふつとさせる。光秀も実力次第に魅力を感じて入社したもの、ついにこらえきれなくなった。本書の結論をほかの例でたとえるそんな感じになるだろう。

 

光秀の本心を後世のわれわれは容易に知りえないし、上のような推測も結局は状況から推し量るしかない。だが、昨今働き方改革が叫ばれながらも、現実には忖度しながら動かないと組織内でまずいことになり、若手が帰ったあとサービス残業しないと仕事がまわらない中間管理職クラスの人々には、むしろ光秀の気持ちが痛いほどわかるのではないだろうか。(了)